基本紹介編集履歴
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CLAUDEMONETL'AlléedesRosiers.Giverny. モネの"薔薇の小道 ジベルネー"1920-1922こちらも最後にモネが住んだ睡蓮のある庭の中の一コマです。この作品もしばらく椅子に座って遠くから眺めたり、眼を細めたり、逆様から見たり、少し下から見たりして愉しみました。真っ直ぐに静視するとどうしてもある一点に吸い込まれてしまいそうです。それにあらがいながら他に逃げ場が無いか探したりしました。もうこの絵を描いたころはモネは白内障がひどくとても絵を描くどころではなかったと思います。見えにくい景色を目の前の薔薇の小道をそれでもしっかりと描いているのです。木々の間から木漏れ日も見えます。赤やうす紫や白い花も沢山咲いています。季節は秋の始まりか少し木々も色づいてきています。そうそう肝心の薔薇の花も‥‥野薔薇でしょうか?けして大輪ではない小さい赤い薔薇がぽつぽつと見えます。うっそうと茂る小道‥‥少し何か霊でもいるような怖さも感じます。モネの執念でしょうか?モネのそれを描いたときの心の内でしょうか?なにか混沌としてはっきりしないいらだちも感じます。それでも描くというそれをも描くという生涯絵を書き続ける人の信念でしょうか?マネの横たわったベルト・モリゾです。マネの描くモリゾさんは一度見たら忘れる事が出来ません。黒い髪、黒い瞳、黒い服‥‥そして透き通った白い肌、頬や耳は眼の周りは胸元にある薔薇のようにほんのりピンクがかっています。しっかりとした顔立ちになんと言ってもこの眼力には圧倒されてしまうのです。今日はマネの絵の話ではありません。実はこのベルト・モリゾさんも絵描きでその方の絵がここマルモッタンには沢山あります。裕福な家庭の三姉妹の一人として生まれ育ちその教育の中の一環として絵を学びます。マネに学びそしてマネの絵のモデルにもなっています。やがてマネの弟と結婚しますがそれ迄にマネは15枚のモリゾの絵を描いたようです。モリゾは19世紀の印象派女性画家としてまたまだまだそのころの絵の世界は女性の進出は大変だったそうで、その先駆者として野望に満ちていたそれをマネは描いたのかもしれません。BertheMorisot1841-1895"FilletteportantunPanier.1891ベルト・モリゾ "かごをささえる少女"沢山のモリゾの絵の中からあまり知られてない一枚を選びました。あの芯の強そうなどちらかと言えば情熱的な彼女からは想像もできない柔らかな絵です。モリゾの絵はどれも優しさに満ちた柔らかな絵でそれは斬新な女流画家というより古風な母親画家と言いたくなります。この絵はパステル画です。ふっくらとした少女の輪郭、当時の流行でしょうか?品の良い高級そうな帽子とそのレースが少女の顔を多いより少女をふんわり優しく包んでいるかの様です。1878年に娘のジュリーが生まれていますから12〜13歳くらいの勿論我が娘を描いたのでしょうが、きっとモリゾは少女を優しく包むレースに自分をあわせたのでしょう。しかし一見優しそうなこの絵もデッサンの線の勢いが時に強く激しさも見受けられます。師匠のマネの線の厚強さを思わざるをえません。マネのモリゾの絵をもう一度良く見ると、モリゾさんの物静かな思慮深い人となりがじんわり伝わってきます。またすこしはにかんだような顔にも見えてきます。始めにその人の肖像画に出会い、それからその作品に触れる。そしてまたその人の肖像画を見るとまた新たな物が見えてきます。こんな絵との出会いもあるのですね。美術館は何度足を運んでもその度に新しい発見があります。やはり眼や心もお腹と一緒で一度に食べる量が決まってるのでしょう。今回はこんな料理を頂きました。ではデザートの代わりに‥‥PaulGauguin1848-1903"BouquetdeFleurs,1897" ポール・ゴーギャン"花束"1897年と言えばゴーギャンがタヒチからパリに戻り絶望して遺書として描いた”われわれはどこからきたのか‥‥”を描いたのと同じ年です。言わば晩年の作品ですね。花瓶からあふれんばかりの花はゴーギャン独特のタッチで描かれています。暗い色の中から赤や青、黄色い花が浮き上がるように見えます。そうまだまだ俺はくすぶっていないんだぞ、体の奥底から燃え上がる赤い炎は消えていないとでも良いたいかの様ですね。