美山荘

Miyamasou

ミヤマソウ

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inanibeachさんのMyノート

2013-03-07 07:55 編集

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日本の最も日本らしい風情が、今も粛々と生き続ける名宿

美山荘「日本人に生まれてよかった。」そこは日本の最も日本らしい風情が、今も粛々と生き続ける名宿。北山から鞍馬、さらに花背へと、長い長い道のりを経てようやく辿り着く。山里深く分け入ってその姿を目の前にすると、体中の全細胞に刻まれたジャパニーズアイデンティティが一気に目覚め始めるのである。

「摘み草料理」で有名な京の料理旅館で、摘み取った季節の草花や旬の野菜に魚を取り入れた美しい料理は、立原正秋や白洲正子など多くの文化人から愛され、京都から「門外不出」といわれてきた。フランスの著名なシェフ、アラン・デュカスやミシェル・ブラスなどもここを訪れ、かなりの興味を示したという逸話も残されている。

もともと奈良の春日大社の社家であった初代が、大悲山峰定寺の再興に共鳴し、1895年(明治28年)に峰定寺参りの信者のために宿坊として建てたのが起源。そして、三代目当主中東吉次が、1937年(昭和12年)に宿坊を料理旅館に増改築し、屋号を「美山荘」として現在の形を作ったのである。

京都は古くから二つの顔を持っていると言われているようである。ひとつは平安貴族が優雅に舞い遊ぶ「雅」な顔。もうひとつは、山里深くに暮らす「鄙」の顔。この二つが上手く絡み合うことで、京都は京都らしさを保ち続けてきたのだ。その「雅」は洛中で比較的容易に拝聴することができる。だが、もうひとつの顔は深く深く山へ分け入らねば、容易には見ることはできない。

 メニューは、一皿一皿にパフォーマンスされる卓越した技巧。それをさらなる高みへと昇華させる厳選の器全体に揺るぎないものにする洗練された心の籠ったおもてなし。すべてが一流。今でこそ流行りとまではいかないが、山里料理は日本全国よくみられます。しかし、ここが真のオリジナルです。すべての店が、ここ美山荘を倣っています。三代目当主・中東吉次が完成させたスタイルが、今も洛北花背の里で、相も変わらず光り輝いています。

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