基本紹介編集履歴
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広大な敷地の古墳公園
新羅時代の古墳群です。慶州の思い出を語る時、この芝生の小山の古墳のことを話す人が多い気がします。
そのなかで、天馬塚(チョンマチョン)だけは、内部を公開しています。お墓の中に入ると、どのように葬られていたかが、わかります。出土品のレプリカなども置いてあります。
敷地12.5万坪のという大陵苑の古墳群には23の古墳があります。天馬塚があります。
高さ27.7m、直径47m、「155号古墳」と呼ばれている古墳で、内部には1973年に発掘されたもののレプリカが展示されています。本物は、国立慶州博物館に展示されています。発掘の結果、5世紀末~6世紀初に作られた古墳ということが分かっています。名前の由来ですが、ここから天馬を描いた馬の泥よけが発見されたからです。内部は撮影禁止です。
ガイドブックには古墳公園(正式には大陵苑と言うみたい)書いてあったけど、現地の表示は大陵苑でした。入り口には、レンタサイクルで来る人が多いのか、ちゃんと自転車置き場がありました。
入場後に分かったけど、入り口は数箇所あるようで、私はRゲートから入場したのですが、結果的にメインの天馬塚に近くて良かったかな。大陵苑の中は、古墳公園と言うだけあり、15万㎡の公園内に7基の王陵、23基の古墳があります。
次に大陵苑・天馬塚(テヌンウォン・チョンマチョン)へと向かった。古墳ってその歴史を刻んだとってもエライ人の「お墓」だよね。ここ慶州は、古くは「新羅(シンラ)」の都。新羅(シンラ)の王族のお墓だろう、その古墳群を前に、ふと気づく、「日本の古墳と同じ形をしているね」って。紛れもなく、その昔、韓国と日本が“繋がっていた”証を見たような気がした。
慶州エリアにある古墳のほとんどは、誰のお墓なのか?未だに分かっていないんだそうで、古墳の一部の石を取ると、古墳全体に積まれた石が、ぜーんぶ!!壊れてしまう、そういう“構造”になっているそうだ。だから、今もなお、その古墳の内部を見ることはなかなか出来ないらしい。お墓だもんね、誰にも荒らされたくない、先人たちの想いが伝わってきた。