忠清道旅行
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- 韓国先史時代の人々の暮らしや道具などの発掘遺物が学べる場「石壮里博物館」
- 日本での先史時代とは旧石器時代から弥生時代のことを言いますが、韓国では旧石器・中石器・新石器時代の事です。そして、約70万年前に朝鮮半島に人類が定住し始め、旧石器時代の貴重な史実を明らかにした遺跡が石壮里遺跡です。1964年の春に石壮里錦江...
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- 韓国木造建築史において非常に重要な建物である。
- 修徳寺は山の斜面に沿って建てられたお寺。 一番奥にある大雄殿までは、いくつかの山門を抜けて登っていかなければならない。 参拝した日の3日前である5月24日(旧暦の4月8日)は、韓国では、お釈迦様の誕生日ということで祭日だが、このスドクサでは...
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- 扶余で行きたい食堂~サムパプは身体にいい?~
- 扶余の白馬江方面に行く途中のサンパプの食堂です。 サンパッ(野菜にいろいろなものを包んで食べる料理)でご飯が石焼栄養ご飯となるのが看板メニューです。トルサムパッ(石焼きご飯包み食べ)を注文すると、テーブルいっぱいに包む野菜とキムチ...
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- 百済時代の創建と言われる大寺院の跡
- 定林寺址は百済時代の創建と言われる大寺院の跡、ただし定林寺とは高麗王朝時代の寺名で、百済時代の寺名は定かではない。中門・塔・金堂・講堂が一直線に並ぶ四天王寺式伽藍配置で日本の古代寺院に多い伽藍配置。 この伽藍配置の由来になった四天王寺...
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- 高句麗とのなにかあったと思われる百済の古墳
- 扶余時代の王陵と思われていて8 基の古墳が確認されています。
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- 百済の首都「泗沘」の古城
- 扶蘇山は泗沘楼のある西北の送月台(104.9m)と、軍倉跡がある東南の迎月台(98.2m)と呼ばれる二つの峰からなり、東北には大きな谷がある。 扶蘇山城はこの二つの峰をそれぞれ取り巻く、二つの鉢巻式山城と、その外側の城壁をつないで大きくめぐる包谷式山...
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- 日帝時代に日韓の戦いの舞台にもなりました
- 伊藤が韓国統監に就任して間もなく、朝鮮の有力な官吏であった閔宗植が、1100名の軍勢を率いて蜂起した。洪州城を占拠し、警察と憲兵隊が鎮圧しようとしたが、まったく歯がたたなかった。 伊藤博文は、「日本の威信を示す為め」、韓国駐箚軍司令官・長...
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- 韓国伝統民族芸パンソリの本家である忍堂・朴東鎮先生の伝授館
- パンソリは韓国の歌劇を代表する一つで今も公演などがあちらこちらで見る事ができます。1人のソリックン(唱者)とゴス(鼓手)で演じ、18世紀の初頭に韓国に誕生し19世紀には韓国で最も人気のあった音楽であったそうです。唱者が鼓手の伴奏に合わせ劇的に...
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