基本紹介編集履歴
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ムラーノ島へ!ヴェネツィアングラスの逸品を探しに。ムラーノ島へは、サン・ザッカリアからヴァボレット(水上バス)の41番を使って向かった。どこに行くにも地図を持っていくのだが、なぜだかこのムラーノだけの地図を入手出来ず、なんの予備知識もないまま上陸した。地図が必要なほど大きな島ではない。人口は6000人程度だそうだ。自分の歩いた通りの名前を調べるため、”ムラーノ”で検索してみると、出てくるウェブサイトはコピーしあったのではないかと思われるような程似通った内容だった。要約すると、1291年に共和国の命令により、ガラス職人がこの島に移住させられた。それ以来ガラス作りの本拠地になった。その移住させた理由、説が一つではないのだが本当のところはどうなのだろうか。ガラス作りに火を使うので火災を恐れたヴェネツィア政府が、ガラス工場を移転したという説。またはフランスがヴェネツィアングラスの技術工芸を盗む為、スパイを大量にヴェネツィア本土に送り込んでいたと言う。その対策としてガラス職人を一カ所の島に隔離した…という説。当時、ガラス製造は一大産業であり、職人は優遇されたが、製造の秘密を外国にもらさないよう厳しく規制されたらしい。素晴らしい作品も多いが、現在ではアジアなどで破格の値段で似たようなものを製造できることもあり、発展しているというより衰退、もしくは停滞しているように思う。私たちは、ヴェネツィアングラスと呼ぶが、どうやらイタリアでは、ムラーノグラスというようだ。この島は、グラス工房が立ち並ぶリオ・デイ・ヴェトライやその先のヴァヴァリーニ橋を渡った先のジュスティニアン河岸など観光客用の表情を見せる部分と住宅地として整備され人気(ひとけ)があまりない地区の二つの表情があると感じた。私は本島から、ムラーノ最初の駅、コロンナで降りて左側に歩き出してしまい、そこはまるでゴーストタウンで、グラス製造は余りに寂しいものだとかんじでしまったが、一般の観光客は反対側に歩くものらしい。ちなみにこれが上の写真と反対方向に進んだ場合の景色。この廃墟のような町並みと、客引き的な人の言うままに入ったグラス工場の写真は後ほど改めて掲載したい。一口にヴェネチアのガラス製品とはまとめられず、様々な種類があることに気がつく。店によってデザイナーがいて、個性を競い合っている。写真向かって左のフォトフレーム内に映っている職人が8枚目と9枚目の製品を作ったそうだ。これらはまた別の職人の作品。この日はクリスマス・イヴで店が開いていることは期待していなかったのだが、ほとんどの店が通常営業をしていたことに軽く驚く。中には撤退している店もある。パトカーはもちろんなく水上警察もボートでパトロール。この日は2点購入して帰路についた。