基本紹介編集履歴
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インドから嫁いだ王妃のお墓
亀旨峰の遊歩道を歩いていくと首露王妃陵に出ます。
首露王妃は西暦48年16才の時に遠く海の向こうのインドのアユタ国から金官伽耶の建国者である首露王に嫁いできました。許黄玉と名乗り金海許氏の始祖とされています。
王との間には10人の子供がいてそのうち2人が許氏を名乗ったのでいまでも金海許氏と金海金氏は結婚ができません。
直径16~18m、高さ5mの墓です。墓の石碑には「駕洛国首露王妃 普州太后許氏陵」という文字が刻まれています
役立つ情報
婆娑石塔
王妃は妹と従者以外に航海の無事を祈願してこの石を船に積んでやってきたそうです。
婆娑石塔の赤い石は韓国にで採掘されないものでインドからやってきたことを証明しているそうです。
当時の伽耶国の国際交流が活発だったことがわかります。
いまでも航海の無事を祈願してお参りにくる人が絶えないそうです。
他情報
王妃のお墓の前から左に進む散歩道があり、
道なりに進んで国道を超えると、伽耶の国を建設した首露王が生まれたと言われる場所、
亀旨峰(クジボン)に出ることが出来ます。
6つの金の卵が空から降りてきて誕生したといわれている首露王ですが、
その6つの金の卵が降りてきたと言われるのが亀旨峰(クジボン)で首露王の誕生秘話が隠されている場所です。
丘の上には記念碑や首露王陵を見ることが出来る展望台もあります。