金門県旅行
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3.2/1人 人気指数:1,800
- 民国41年(1952年)に建築された文化歴史展示施設
- 「莒光樓」は、当時の金門貿易司令官が、金門砲戦における国府側の商工をたたえることを目的として1952年に造られたもの。建物の名前の、莒光は蒋介石が唱えた言葉からとったものである。台湾ではこの建物をモチーフにした郵便切手が発行されたことも...
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- 厳重に管理されていた軍の秘密要塞
- 日本や台湾で見た金門島の紹介は、軍事の島という感じだが、実際に行ったときには、島内で、軍の人を見るのさえ稀なほど、軍事色の無い島に思えた。以前は、厳重に管理されていた軍の秘密要塞も、今では観光資源としてリニューアル。この写真は、...
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- ここであった戦いの歴史資料が展示されている
- 金門島の北西にある『古寧頭戦史館』。鉄筋コンクリートでできた建物で、1949年人民解放軍の武力上陸を撃退した記念に建てられた。正門をはいると、戦車「金門の熊」や3人の勇士像などがある。 館内には、戦利品の武器、作戦の文書、作戦指揮...
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- 金門独特の文化継承の為に
- 金門島にある集落です。 現地では山后の18間と呼ばれます。 金門出身の人が最初に18棟の棟を建て、集落となった為です。 その後、多くに人が移住してしまい、金門独特の文化が失われつつあるのを、 「金門民族文化村」として...
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- 西の海を見張った以前の軍事施設
- 金門島の西、慈湖と外海の中間にある「慈堤」の先にある『三角堡』。三角堡は、コンクリートで頑丈に構築し中重火器などを備えた防御陣地のこと。以前の軍事施設で、上から見ると三角形で、西の海を見張ったそう。内部は、狭くて天井の低い通路があり、参...
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- 清の康熙帝の時代の簡易裁判所兼政務事務所
- ライトアップされているこの場所は、金城鎮の旧市街の中心地にある「總兵署」。「總兵署」は、清の康熙帝の時代(1682年)に、この金門島の金城の後浦を治めた陳龍が、もともとあった「叢青軒」という建物を、兵士の駐留所、地下牢も備えた簡易裁判所兼政...
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- 中国本土と目と鼻の先
- 台湾の離島で中国本土に最も近い島のひとつです。 海岸から北を見ると中国本土のアモイが肉眼で見れます。 従い、軍事上、非常に重要な拠点となっており、軍人が多く、基地及び帰途の跡がたくさんあります。観光地としても軍事拠点跡のトンネル...
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- 金門の歴史が分かる博物館
- 「金水国民小学」は昔の小学校をそのまま使った「閩南とはなにか」を紹介する博物館。1930年に建てられた小学校で、東南アジアに渡った金門の人々が資金を蓄えて建てた小学校。金水国民小学には教室や教師の宿舎や炊事場も残っている。大陸人ツアー客の...
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- 対岸の中国が見える望遠台
- 馬山観測所は、大金門の北のはずれ。ここから対岸(人民共和国)まで2100メートルしかないという位置。馬山観測所には、双眼鏡がありそこから対岸の様子が見られるようになっている。 馬山観測所の入口の門番は多分本土から兵役でやってきた「...
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