基本紹介編集履歴
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ソウル市庁の隣りにある徳寿宮。長寿を願う意味だそう。日本語無料ガイドでもっと詳しく歴史を知ってみませんか?
実は初めて行きました。
ソウル5大王宮の一つですが、豊臣秀吉による文禄・慶長の役から始まり、
1904年の大火災でほとんどの建物が焼けてしまったり、
1905年には重明殿で日韓保護条約(乙巳条約)が締結されるなど、
幾多の受難を経験した歴史的な場所だそうです。
古宮には珍しく、西洋の建築様式で建てられたものが多くあります。
3階石造りの西洋ルネッサンス式建物、その名も「石造殿」もあるのですが、
なぜか写真は撮っていませんでした。
中和門、中和殿、徳弘殿から見た昔御堂、静観軒のテラス、など、
二日酔いでふらふらしながら見て廻っていました^^;。
どこへ見学に行っても、6・7人の子どもたちが2人ほどの大人に引率され、韓国の歴史や文化を勉強しています。
ふざけたりしている子供は居らず、皆真面目に話をきいたり、ノートを取っていたりしています。
あとで聞いたところ、学校を休んでも、キチンとレポートを提出すれば授業を受けたのと同じになるそうです。
教室で上の空で授業を受けるより、身につくよなーと思いました。
徳寿宮は李氏朝鮮王朝末期の王宮だけあり、西洋風建築物も建てられている。
石造殿と呼ばれている建物がそれで、現在は「宮中遺物展示館」として使われている。
椅子に腰掛けて左手に書物を持ち、右手を上げた人物の像が見えて来た。「世宗大王像」と書かれている。
この人物は朝鮮王朝第4代目の王で、学者と共にハングル文字を作った事で有名である。
「光明門」と書かれた門の下には、「自撃漏」という水時計が置かれていた。
1536年に作られたこの水時計は、李氏朝鮮王朝全盛期、中宗(注)の時代の物である。