基本紹介編集履歴
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幾多の受難を経験した歴史的な古宮
ソウル市庁前にある「徳寿宮(トクスグン)」は、ソウル内にある古宮の中でも少し落着いた雰囲気を持ちます。本来、朝鮮時代第9代目の王族が住んでいて、文禄の役で、ソウル市内の古宮が無くなった代わりに約7年間あまり王宮として使用されました。その間、1611年に「慶運宮」と名付けられました。その後、1615年に晶徳宮(チャンドックン)が再び建てられ、徳寿宮(慶運宮)は離宮として残りました。そして、高宗皇帝が1907年から1919年になくなるまで徳寿宮(慶運宮)で過ごしました。その時に、慶運宮という宮号から徳寿宮へと名前が変わり今に至ります。
また、慶運宮の時の全盛期は、現代の約3倍もの広さの宮殿でしたが、名称が徳寿宮へと変わった後、一部が撤去され、その後も売却されたりして、1933年に多くの殿閣までも撤去されました。そして、公園として再び造成され現在の一般公開される形となりました。なので、ほとんど原型が残っていませんが、歴史的に最も大きく変化してきた古宮として今も、国難克服の象徴的な空間として残されています。
徳寿宮は、まず大きく構える正門「大漢門」が入口で、毎週火曜日~日曜日(3月~12月)の14時から王宮を守る守門将の交代式が行われます。宮内へと入れば、外の高層ビルの世界とは一風変わた景色となります。入ってすぐには、禁川(クンチョ)という川があり、今はほとんど違った形で残っていますが、そこに架かった橋にも昔からある意味が込められています。奥に進んで行くと、「中和門」と「中和殿」が現れ、ここは唯一昔の姿が残されている宮殿だそうです。またその後ろには、ちょっと宮殿とは変わり日本風の姿をした「昔御堂」「即作堂」「思明堂」があります。中和殿の正面右側には、西洋文明の影響を受けた内装が特徴の「徳弘殿」や、王の寝室だった「成寧殿」があります。その裏には、まさに西洋建築といわんばかりの「静観軒」があり、ここ一帯は西洋の影響を多く受けた建物が見られます。また、更に、中和殿のすぐ真横には西洋建築の「石造殿」が宮中に馴染まれず建っています。今は、国立博物館と現代美術館として使用され、定期的に世界各国からの美術作品がやってきて展示会が行われています。
また、その他にも宮殿の周りの徳寿宮のトルダルキム(石垣道)もカップルや四季の道として人気を呼んでいます。