キム・ジュンス主演 ミュージカル『モーツァルト』観覧ツアー

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ユートラベルさんのMyノート

2013-03-07 07:55 編集

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キム・ジュンス主演 ミュージカル『モーツァルト』観覧ツアー

東方神起のキム・ジュンス主演 ミュージカル『モーツァルト』観覧ツアーです。

天才音楽家モーツァルトの短く、苦節の多かった人生を躍動的に描いたミュージカル「モーツァルト!」日本でも高い興行成績を誇るこの作品で、東方神起のキム・ジュンスが新たな姿を私たちに見せてくれます。ジュンス自身、作品性、興行性共に兼ね備えたこの作品を新たな挑戦の場として選択し、 原作者シルベスタールベイ氏もそんなジュンスのミュージカル出演に対する意思と情熱に惚れ込み、キャスティングが決まりました。豪華な舞台に衣装そして音楽とすばらしい物語とともに人々の心を掴むジュンスの爆発的歌唱力に魅了されること間違いなしです!
東方神起のキム・ジュンスが伝える感動の「ミュージカルモーツァルト」の特別な感動を感じてください~。

 

★大邱にて公演が追加となり、3月7日が最後の公演となりました。★



役立つ情報


  日付

時間

キャスティング

ソウル公演

2/10(水)

20時

キム・ジュンス

2/12(金)

20時

キム・ジュンス

2/13(土)

15時

キム・ジュンス

2/13(土)

19時

キム・ジュンス

2/16 (火) 20時

キム・ジュンス

2/18(木)

20時

キム・ジュンス

2/20(土)

15時

キム・ジュンス

2/20(土)

19時

キム・ジュンス

大邱公演
(テグ)

2/27(土)

15時

キム・ジュンス

2/27(土)

19時30分

キム・ジュンス

3/6(土)

15時

キム・ジュンス

3/6(土)

19時30分

キム・ジュンス

3/7 (日) 15時

キム・ジュンス

*大邱公演が追加となりました。



他情報


公演日程 2010年2月9日(金)~3月7日(日)
場所 ソウル公演 : 世宗文化会館・大劇場
大邱(テグ)公演 : KEIMYUNG ART CENTER
公演時間 平日午後8時、週末/祝日午後3時及び7時
観覧者の資格 12歳以上
主催 SBS、(株)EMKミュージカルカンパニー
主管 (株)テアトゥロ
制作 (株)EMKミュージカルカンパニー
公式ホームページ http://www.musicalmozart.co.kr/
航空券発券会社 株式会社アイエシイ・トラベル 観光庁長官登録旅行業第 883号

お問い合せ

Tel.050-5534-5430/5598 
㈱LCKTOUR
受付時間:10:00~17:00(土・日・祝を除く)

 

 

<東方神起 ジュンス ‘韓国’ミュージカル『モーツァルト』 のストーリー>

1768年ウィーンの一貴族邸宅、ザルツブルク宮廷コンダクターであるレオフォールトモーツァルトは集まった貴族たちに自分の五歳になった息子ウォルフガングアマデのピアノ演奏を聞かせて彼のすぐれた音楽的才能を披露していた。彼の演奏を手助けしていた姉ナンネルがウォルフガングが具合が悪いようだと父に訴えても、レオフォールトは 「奇蹟の子供」であるウォルフガングの後見人を集めることに夢中になるだけだった。それから 9年、青年になったウォルフガングは父の意によってザルツブルクの大司教コロレド伯のもとで音楽活動をしていた。「奇蹟の子供」だと呼ばれた幼き時代の自分の分身である「アマデ」(モーツァルトが若干5歳にして初めて作曲した『アンダンテ ハ長調』)が彼のそばをたえず付きまといながら作曲仕事に集中するように促していた。大司教が要請した音楽を書く事にうんざりしたウォルフガングは自由を求めるようになり, 大司教の言葉に逆わないよう指示する父の意見と衝突する事となる。そうしたある日大司教が自分の目の前で楽譜を裂いたことに腹を立てたウォルフガングは仕事をやめて母親と共にザルツブルクを去ってしまう。残されたレオフォールトは世の中の険しさも疑うことも知らない息子を手放してしまったことを後悔するがどうすることも出来ず辛いだけだった。

1777年母親と共にたどり着いたマンハイムでウェーバー家族と付き合うようになったウォルフガングはウェーバー家族の誘惑に負け自分の財産を渡してしまう。この事実が知ったレオフォールトは息子をパリに行かせるが、可哀そうなウォルフガングは残ったお金さえウェーバー家族に送り、無一物となったうえに不幸が重なり母親さえも病で失い絶望に陥ってしまう。そうした中で劇作家と同時にプロデューサーであるスィカネドと偶然出会い「いつか大衆に愛されるオペラを作ろう」と意気投合するようになる。しかしコロレド大司教の陰謀により簡単に働き口さえも見つけることができない息子ウォルフガングを見守る父と姉の心配は深まるばかりだ。幸い自分の心強い後援者だったバルトシュタイン男爵夫人の助けでまたウィーンに戻ることとなったウォルフガングはマンハイムからヴィアンナへ活動領域を移したウェーバー家族と再会する。彼らの娘コンスタンチェと深く愛し合うようになったウォルフガングはウェーバー家族の説得によりウィーンに泊まる事にする。大司教の謀略で毎度演奏機会を逃していたウォルフガングは彼と対立し、二人の葛藤は絶頂にのぼることとなる。 

1781年, 自由の喜びを得たウォルフガングの音楽はウィーン社交界での話題となっていた。コンスタンチェと結婚したウォルフガングは自分に追従する人々に取り囲まれて一晩中享楽を楽しむがゆえ、故郷に残してきた父と姉の存在を日々忘れるようになっていた。結婚持参金を送るよういう姉の手紙を受けて準備したお金まで酒に酔って奪われてしまう。一人で残されたコンスタンチェはダンスパーティーを楽しみ寂しさを紛らわしていた。二人の間には暗い影が垂れ下がりはじめる。

一方, 宮廷コンサートとオペラ「フィガロの結婚」を成功に終えたウォルフガングの名声はいっそう高くなり、コロレド大司教が彼にまた職位を与えるとウォルフガングをザルツブルクで呼び入れるよう言う。仕方なく息子に会うためにウィーンを訪れたレオフォールトは彼の驕慢さと傲慢さに落胆し、ウォルフガングはそんな父との関係を修復するため大司教から自由になることができるほどのお金を渡す。しかしその心を理解することができなかったレオフォールトは「おまえが私に借金したことは金で返すことができない」と言う言葉を残し故郷に戻り、自分を理解することができない父と永遠に別れることになったウォルフガングは衝撃を受け精神的な混乱を経験するようになる。父の葬儀を発つ彼のもとに見知らぬ男が近付いて「レクイエム」を書いてくれと頼んできた。時間が経ちスィカネドとともに作業したオペラ「魔術笛」を成功に終えたウォルフガングは自分の分身である「アマデ」と「レクイエム」を書き始める。

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