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東西を分断していたベルリンの歴史が深く刻み込まれている場所
「ベルリンの壁」は、壁が一部そのままの状態で残されている場所があるが、実際に直接触れないようにフェンスで囲われている。「ベルリンの壁」は、西ベルリンを囲むようにして、1961年に建てられた。東ドイツと西ドイツに分かれていたドイツは、元々、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の占領地として4つに分割されていた。しかし、最終的には3カ国(アメリカ・イギリス・フランス)とソ連との資本主義と社会主義の対立となり、ベルリンも東西に分かれた。当時は、東ベルリンから西ベルリンへと、自由に行き来出来たが、3カ国の資本主義とソ連の社会主義の対立で、経済落差や政治体制の不満から、東ベルリンから西ベルリンへと脱出する人が増え、東ベルリン側(ソ連)が国家存続危機のために壁を築く事を決意しベルリンの西側を囲むように築いた。この壁が「ベルリンの壁」と呼ばれる。後、1989年に東ドイツ政府が東ドイツ国民の声をようやく聞き入れ、11月に旅行の自由化を承認し、20年ぶりに「ベルリンの壁」は崩壊された。崩壊された壁は、道路舗装等にリサイクルされたりしたそう。また、一部はそのまま残っている場所もあり、多くの観光客が訪れるようになった。ちなみに、壁の破片が入ったお土産品等を売っているのを見かけると思うが、どこかのがれきの一部と言われればそう見えてしまい、ニセモノなんかも混じっているとか。また、旧西ベルリン議事堂と旧東ベルリン議事堂ベルリンの壁が残されている場所のすぐ近くに、この2つの建物がある。
ちなみに、東西に分かれていたドイツもベルリン崩壊の1年後に統一された。