資生堂パーラー サロン・ド・カフェ(銀座本店)

SHISEIDO PARLOUR SALOND CAFE

シセイドウパーラーサロンドカフェ

資生堂パーラー サロン・ド・カフェ 銀座本店

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inanibeachさんのMyノート

2014-04-21 15:08 編集

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銀ブラの元祖である資生堂パーラー サロン・ド・カフェ(銀座本店)

明治~大正~戦後~高度成長期~バブル期~平成まで銀座の移り変わりを見守り続け、大衆の胃袋と心を満たし続けてきた。ニッポンの古き良き思い出がよみがえってくる名店。すべてはソーダ水から始まったのである。西洋文明を一気に吸収しようとしていた明治5年、資生堂は西洋式調剤薬局として誕生した。明治30年には化粧品事業、明治35年(1902年)には日本で初めてソーダ水を製造・販売する飲食事業を開始。本店のある銀座8丁目は、当時出雲町と呼ばれていた。江戸時代、この区画の造成を出雲藩の大名が担当したことに由来。8丁目と7丁目の間を花椿通りと呼ぶが、これは資生堂が出雲にゆかりのある薮椿を通りに植えたことから。椿は商標マークともなり、資生堂を象徴するものとなったのだそう。初めソーダ水とアイスクリームを提供する「ソーダファウンテン」として営業開始するも、徐々にライスカレーやチキンライスといった西洋料理も提供するようになる。そして今につながるレストランという形に昭和初期の段階で完成する。資生堂ビルの1階には当時使用していたソーダ水製造機のレプリカを展示している。創業者である福原有信氏が明治33年にパリ万博を視察した帰り道、アメリカに立ち寄り、ドラッグストアの一角にあったソーダ水製造機を目にしたのがきっかけ。ソーダ水製造機だけでなくグラスやストロー、スプーン、シロップに至るまで、アメリカから取り寄せたのだそう。銀座へ立ち寄ったら鮨も良いが、往時を偲びこの一杯で喉を潤すのもまた一興。文豪の永井荷風も足繁く通い飲んでいたというレトロな一杯。支店は全国各地にあるけれど、銀座本店でご賞味することを是非ともお薦めします。

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