豊田

豊田

 0/0人  |  人気指数 2,872

お気に入りに追加:0
トラベルノートページへ戻る

基本紹介編集履歴

taiwantowerさんのMyノート

2010-09-13 12:05 編集

次の編集内容へ

1/3

花蓮県の吉安(吉野)から南下すると、日本風の地名が多くなります。真鶴、玉里、瑞穂など、あげればきりがありません。この辺は、人口密度が低かったので、日本統治時代に、台湾に入植した日本人はこの辺に村を開いたのです。僕が今回訪れた「豊田」も、そんな村のうちのひとつで、日本時代の民家、神社などが残っているところです。吉野が、吉野川の氾濫で故郷を追われた徳島県出身者に開拓されたように、豊田も愛知県出身者によって開拓されたのかもしれません。日本人は戦後ブラジルに移住したり引き上げたりしたので、現在その日本家屋を使っているのは外省人、客家人と台湾原住民です。豊田で有名なのは、この日本警察の派出所を改造した郷土資料館と、神社の鳥居を再利用した、中国寺院の門です。この寺院は、本堂を中国仏教風に改築した以外、神社の時のままです。また、ローカル線の駅もいかにも日本風です。このほか、花蓮には、日本人が遺した地名や建物が、今でもあちこちで健在です。また、台湾東部は、言語の種類が多いため、地元のお年寄り同士で日本語で意思の疎通を図っているのをよく目にします。家で年寄りが話しているのを毎日聞いているため、中国語世代でも、日本語が多少わかる人も多いです。一度、花蓮で原住民の村を訪れたとき、長老と日本語で会話していたら、中国語しかできない孫たちが「叔叔,你為什麼會講我們的話呢〜?(おじさん、なんで原住民の言葉話せるの〜?)」と不思議がってました。中国語しかできない子供たちには、日本語も、自分の部族の言葉も、ただ「聞いてわからない言葉」と聞こえていたのでしょう。台湾の日本語世代は、最近もうだんだん引退して、どんどん目立たなくなってきました。(彼らが僕のこんな「変な」日本語を見たら、たいそう悲しむだろう。)日本人で、これを残念だとセンチメンタルな気分になる人が多いのは、理解できなくもないですが、よく考えてみれば、これは当たり前のことで、悲しむ必要はあまりないと思います。それに、「教育勅語」などをぺらぺらと日本語で暗記できる老人が減った変わりに、日本語の語彙は、台湾閩南語や台湾華語の語彙となって、生き続けています。また戦後、日本語世代とは別のところで、最近の日本ブームで日本語から直接台湾華語に入ってくる言葉もどんどん増えています。また、たとえ言語が少しずつ消えたとしても、建物は残ってて、今でもちゃんと実用してるんですから、それで懐古趣味の日本人の方、これで良しとしてください。

最近見た記事
一覧見る