基本紹介編集履歴
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私の暴走のせいで違う港についてしまった私たちはとにかく6時までに『地下ナポリ』に着かなくてはいけなかった。朝と同じベヴェレッロ港なら歩いて20分くらいの距離だけどとりあえず地下鉄に乗ってPIAZZACAVOUR駅まで行く。『地下ナポリ』は『NAPOLISOTTERRANEA』という名前の、紀元前ギリシャ人によって今のスパッカナポリの地下に『ネアポリス=新しい都市』という名前で構築されたもの。知らなければ知らないままだったこの『地下ナポリ』は今回南イタリアに行くにあたって、私のMALTAでの生活をサポートしてくれている留学斡旋会社のI田さんが「南イタリアに行くならぜひここを見てきてください」と、強くお勧めしてくれたところ。自分は行ったことがないけど、まだどこのガイドブックにも紹介されていない、今から脚光を浴びるところです。ということだった。(だがしかし!!なんと今年版の「地球の○き方」にコラムとして紹介されていた。さすが○き方!)なぜ6時までに着きたいかと言うと、とにかく地下にクモの目状に地下都市が広がっているため、ガイド付でないと周れず、その公開時間も12時、2時、4時、6時の4回のみだったのだ。頼めば日本語のガイドも付くそうだけど、割高なのでやめた。恐ろしげな街中を(だんだん暗くなってくるし、この辺はいわゆる裏通りなので、正直汚いし、女の子が歩くには慣れないとかなり怖い感じがする)さ迷い、ようやく到着。6時ちょっとすぎてたけど、明らかに観光名所でないと思われる地下ナポリは見学希望は私たちだけで、すぐに見学は始まる。どこまで続く?という階段をどんどん下りて行き、上の喧騒とはまったくかけ離れた地下都市はそこにあった。気温は年中変わらないのでノースリーブの私はいきなり寒くて震えてくる。こんなだだっ広いとこそりゃガイドつきじゃないと帰ってこれんわ。と思った。紀元前からあるこの地下都市は時には古代ナポリの人々の憩いの場であったり、世界大戦のときは核シェルターとしてナポリの人たちの避難場所にもなった。壁に落書きされた爆弾の絵や『お母さんに会いたい』というようなメッセージは見ていて心が痛くなった。今は、この地下都市の存続とこの空間を何かに利用できないかといろんな人たちが論議しているらしい。何しろ私の語学力ではもっとガイドのお兄ちゃんは深い話をしてくれたと思うけどこのくらいしか理解できなかったのがやはり悔しい。(それももしかしたら間違って聞いているかもしれない)最後はちょっと上段にある部屋で保管されているワインを試飲させてくれて(うまい!!!!!)今度は外に出て近所の普通のうちの中に入り、その家のベットの下がこれまた隠し扉になっていて、この地下都市に続いているのを見せてくれたし実に内容の濃い2時間だった。感想としては男の人のほうがここはより楽しめる観光場所かもしれない。