鴻臚館跡展示館

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ユートラベルさんのMyノート

2013-03-07 07:55 編集

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平安時代に築かれた外交のための迎賓館

鴻臚館は、平安時代に設置された外交および海外交易のための迎賓館です。

平安京(京都)、難波(大阪)、そして筑紫(福岡県西部)の3か所に置かれていましたが、唯一場所が確認 されており、遺構が見つかっているのが現福岡市中央区にある筑紫の鴻臚館です。

文献上は持統2年(688)、筑紫館(つくしのむろつみ)として初めて現れ、平安時代になって中国 風の鴻臚館という名に変わったようです。7世紀後半から11世紀まで約400年の間、遣唐使や新羅の使節団、商客らを迎え入れたとされており、新羅渤海の使節を迎える迎賓館兼宿泊所として機能し、海外使節はまず鴻臚館に入館して大宰府や都へ上ることとなっていたと言われています。

昭和62 年(1987)、平和台球場外野席改修の際に遺構の残存が発見され、翌年から発掘調査が始まりました。



役立つ情報


 

 

今も発掘調査が続行されています。

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