基本紹介編集履歴
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マドレーヌ教会からロワイヤル通り(RueRoyale)を通ってコンコルド広場方面へ。信号待ちの間に、突然一人の少年が私の前に横切ってきて、金の指輪みたいなものを拾って(拾ったふりだと思うが)、「Vous?」と私に聞いた。私が反射的に「Non」と答えた。少年が私の後ろの方向の誰かと短い会話を交わして、信号が変わった瞬間、二人がさっさと行ってしまった。彼らはこれで生計を立てているのですね、それより、この手に乗る人がいるのだろうか。私がコンコルド広場からコンコルド橋を渡って、セーネ川の左岸に向かう。この辺りは日本の永田町のような場所で、外務省や国防省、教育省、農林水産省などの行政機関が集まっている。外務省の正面。外務省横の路Rue.deConstantineに沿って更に南へ歩き、アンヴァリッド大通り(Bde.desInvalides)に入ろうとするところに、何台の大砲を伴って軍事博物館の建物が見えてきた。これの反対側にナポレオン1世の墓が置かれるアンヴァリッドの入口となる。アンヴァリッド大通りに臨んで、質素で上品な感じのロダン美術館(Musee Rodin)が静かに佇んでいる。ここはロダンが1908年から亡くなった1917年まで過ごした館。受付のカウンターに英語版のマップが置いてあり、建物の中や園内にある彫刻の場所と名が分かりやすく記されている。日本で馴染み深い「地獄の門」。高校生と思われるグループがちょうど授業の最中だった。ロダン美術家の庭園がとても美しい。彫刻が点々と園内を飾っていて、緑もいっぱい。バックにアンヴァリッドの金色の頂が高く聳えており、こんな曇りの天気でもその輝きは遜色することがない。バルザックの肖像。細い散歩道のつきあたりに考える人の姿が見える。目を養う自然の中で草花に囲まれて、君はもう悩む必要がないだろう。。。と言いたくなる。展示室の中にも多数の作品がある。目玉といえばやはりこの「接吻」だろう。モデルはロダンと恋人のカミューユ・クローデルと言われている。そして、すこし興奮していいぐらい、ゴッホの「タンギー爺さん」(1887)がここにあるのですね。画材屋のタンギー爺さんは貧しい印象派の画家たちや夜の街の女たちにあたたかい手を差し伸べた人情家で、またうまいルートで日本の浮世絵版画を集めてきたこともあり、そのお店は印象派画家たちのたまり場になったのである。ゴッホのこのタンギー爺さんの背景に富士山や浮世絵の美人図が描かれている。半開きの窓から緑の庭園を見下ろすことができる。なんだか落ち着く。階段のあるロビーにぶら下がった照明がガス灯の豪華版というか、いい雰囲気を作り出している。