こりあらーむ

カテゴリー

韓国の近代史を見る事が出来る乙支路の路地裏ツアー!

カテゴリー

朝鮮戦争の後ものつくり産業で発展した乙支路の歴史が聞ける「乙支遊覧」

南山の麓、市庁から東大門歴史文化公園まで2.74キロに渡るこの一帯を「乙支路(ウルチロ)」と言います。

中区庁で行われる「乙支遊覧」という路地裏ツアーでは、乙支路3街から乙支路4街まで続く商業通りを中心に、地域の成り立ちと発展の歴史を解説者のガイド付きで見て周ることが出来ます。

 

乙支路の由来

日本統治時代、ソウルの地域名は日本語で表記されていました。独立後の1946年に地域の名称を改定するとき、乙支文徳将軍という中国の隋との戦いで大勝利をおさめた英雄の名を取って「乙支路」と名付けました。これは、朝鮮戦争の際に北朝鮮の軍をこの地で撃退したことに由来していると言います。

乙支路と「ものつくり」産業の関係

朝鮮戦争の際、乙支路は激しい砲撃を受け、一帯が全て焼け野原になってしまいました。停戦後、乙支路を再建すべく、建築関連のありとあらゆる業者がこの地に集まり、木材、家具、鉄工、ペイント、工具、タイル、照明などの「ものつくり」特化区域となりました。60~70年代の高度成長期に好況を迎え、大きく発展し、今もなお乙支路のアイデンティティーを支えています。

乙支遊覧 路地裏ツアー

乙支遊覧は、過去と現在が相まって存在する乙支路の路地が、都心再建設計画により無くなってしまう前に、多くの人に記憶してもらいたいという思いから企画されたツアーです。

「造れないものは無い」と言われる乙支路の産業ストーリー、創業60年以上の老舗のお店、若きアーティストの芸術活動などを垣間見ることが出来るローカルツアーです。

 

ツアーは日曜を除いて毎日午後3時から無料で行われます。参加は事前予約が必須で、電話(02-3396-5085)にて予約が可能です。現在は韓国語でのみツアーが行われています。

乙支遊覧のコース

乙支路3街駅出発→タイル陶器特化通り→バス停留所→松林手製靴→ノガリ路地→工具通り→鉄工路地→山林洞・青年アーティストのアトリエ→照明・ミシン特下通り→乙支路4街駅到着

1.タイル通り

ツアーの出発地である乙支路3街駅の前はタイル特化通りが続いています。ここでは、タイルから発展して、トイレの洗面台や便器など水回りに関連したインテリアも扱われています。

なぜ乙支路でタイルが有名かというと、朝鮮戦争の時代まで韓国では輸出品のみを扱っていましたが、停戦後60年代にタイル国産化の政策が始まり、ここ乙支路が国内初の国産タイル代理店の発祥地となりました。そのため、今でもタイルは乙支路の特化とされ、沢山の業者が集まっています。

 

写真説明

乙支路で活躍する若きアーティストが作った乙支路3街のバス停の椅子。
よく見ると壁はタイルでできており、ベンチは便器の形をしています。このエリアの特性をよく生かした作品です。

2.松林手製靴

乙支路3街2番出口を曲がったところにあるお店「松林手製靴」は、1936年の創業以来3代に渡って続いている手製靴の老舗店です。朝鮮戦争時代、イギリス軍の軍靴からヒントを得て作られたという登山靴は、国内初でありながら最上級と評されています。韓国人で初めて冬のエベレストの登頂に成功したホ・ヨンホが当時履いていた松林手製靴の登山靴にサインしたものも、店内で実際に見る事が出来ます。

3.ノガリ路地

松林手製靴を過ぎ、工具通りの手前に「ノガリ路地」と呼ばれる通りがあります。路地の中の黄色い看板が掛けられているところは全て居酒屋。夜になると、通りまで簡易テーブルと椅子が並べられ、一帯が飲み屋に変わるとのこと。ここで働く人にとって、一日の仕事の疲れを癒す「オアシス」の役割を担っています。

4.工具通り

ノガリ通りを過ぎたところ、清渓川を挟む形で工具通りがあります。ここにはありとあらゆる工具が揃っており、図面だけ持っていけばなんでも作ってくれると言われています。ベトナム戦争の際には軍需特益で一気に好況したエリアです。ちなみに、工具通りの中に乙支麺屋という平壌冷麺の名店があります。また、お店のすぐ隣には乙支ダバンと言う昔ながらの喫茶店もあります。70年代のままのお店は、昔を懐かしむ人たちに人気のようです。

5.鉄工路地

工具通りを過ぎると、鉄工業者の集まる路地があります。劣悪な環境に見えますが、ここから宇宙飛行士の研究道具や、最先端機器のプロトタイプが数多く生み出されてきたそうです。そのためここで働く人は技術力が高く要求されるのだとか。

6.山林洞の路地、映画のロケ地にも

工具通りを過ぎて一本路地に入ったところが「山林洞」というエリアで、彫刻特化通りと呼ばれています。ここは、キム・ギドク監督の映画「ピエタ」の撮影ロケ地となった場所でもあります。キム・ギドク監督は10代にここで働いた経験があり、この地への思い入れがあって映画の舞台に取り入れたとのこと。映画で出てきた背景を見る事が出来ます。

 

山林洞には、若きアーティストのアトリエが6カ所あります。この中では、彫刻や写真の展示、外国人アーティストの公演などが行われています。芸術家達の表現の場でもあり、乙支路に新しい活力を与える場所でもあります。

7.ミシン・照明通り

山林洞の路地を抜けたところが、乙支路4街駅の前になります。ここには、ミシン・照明関連のお店が集結しています。ミシンは特に、70年代の高度成長期に人々の衣食住の生活が豊かになるとともに好況を迎えたとのことです。また、ミシンは衣服のみ使われているのではなく、建築の場でも活躍したとのこと。

現在は家庭でもあまり使われないミシンですが、未だに乙支路にはミシンのお店が沢山残っています。

 

乙支路の歴史は韓国近代の歴史

乙支路は、朝鮮戦争の停戦後、60年代に栄えたものつくり産業が、今なお当時の姿を残している唯一の場所です。現在はスラム化してしまい、都市再建の手が下るのも秒読みと言われています。

IT強国となった韓国にとって、縁の下の力持ちを演じた乙支路をどのように導くかが、今後の課題とされています。明洞や東大門のような観光地ではありませんが、いつ失われるか分からない今の乙支路の姿を見るべく、是非、足を運んでみてください。

しばらくお待ちください


TOP